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ペタンクを知ってから早くも15年近い歳月が過ぎました。初めて日本でペタンクをしたとき、スポーツの概念がまったく異なるこのペタンクを、スポーツではなく変な遊びだと捉えました。 しかし、フランス旅行で、町はずれの広場でペタンクに興じている人たちを見て、日本で知ったペタンクと大きくかけ離れていることにおどろきました。認識が誤っていたことを痛感したのです。これほどに認識の違いが生じるペタンクというスポーツを、調べてみようと考えたところから私とペタンクとの深い繋がりが生じました。それ以後、毎年のフランス旅行は、すべて、ペタンクの実体験と資料の収集、疑問点の解決が目的になりました。 フランス語が専門の妻、美智子と、フランス語は独学の私との二人三脚のフランス旅行は、ほとんどの時間をペタンクのために費やして来たと申し上げても過言ではありません。 日本ペタンク協会に所属して、岐阜県で普及活動を始め、愛知県にペタンク協会を設立し、全国レクリエーション大会や日本選手権大会、全国健康福祉祭ペタンク交流大会などの大規模大会を実行責任者としての立場で取り組んできました。かたわらで日本ペタンク協会の常任理事という責任ある役職についていましたが、昨年度で辞任いたしました。その場では、フランスで体験し、学習したことを生かし、本場フランスと変わらぬペタンクの世界を日本で実現したいという気持ちを込めてきました。しかしその夢をほんとうに実現するには、あまりにも多くの困難な障碍があることもわかってきました。 私が、志して、日仏ペタンク研究所を名乗り始めた頃、MAD FRENCH の家元でフレンチミュージックのプロデュースをされておられる永瀧達治さんとの出会いがありました。そのご縁もあって、加賀のもれしゃん塾で、ペタンクを披露させていただく機会も得ました。 また、MAD FRENCH家元の1番弟子で、人気サイト名古屋発フレンチ狂日記の管理人、COOLMAN♂君と小菅範夫君が、ペタンクを教えて欲しいと私を訪ねてくれたことも忘れてはなりません。この仲間は、私の青春時代の姿にたいへん近く親しみやすい仲間です。家元の永瀧さんからはペタンク師匠の称号を賜りました。ゲンスブールを愛し、ゴダールを好み、フランス映画や、フランス車など、フランスの魅力に溺れる若さは、この歳になった私にも不思議な生き甲斐を与えてくれる存在です。平均年齢25歳ほどの新しい仲間、こんな人たちにこそ本当のペタンクを伝えたい。それにはインターネットがすばらしい道具になり得ることも知りました。私のパソコンいじりの道楽は、ペタンクサイトの制作に定まりました。 MAD PETANQUE (ペタンク狂)はこのような状況からの発想です。 ペタンクのような国民的スポーツは、伝統的に蓄積された多くの慣わしもあって、それを認識できないと本当の意味を受け継ぎ得ない世界でもあるのです。私は、その話をするときに、相撲を引き合いに出します。勇み足や、死に体、禁じ手、四十八手などを知らないで相撲を取っているようなところが日本のペタンクには多くあるのです。それらを知らなくても相撲はとれます。土俵という○の中で、取り組んで、相手より先に○から出るか、先に転べば負けになる。それだけの知識でも相撲は取れますから、相撲は簡単なルールのスポーツといえます。○を土俵ということさえも知らなくても相撲は取れます。 このサイトでは、ペタンクをすばらしいフランスのスポーツとして正しく、詳しくお伝えします。賛同していただける方々が連絡しあって、本当のペタンクが楽しめる場を提供しあいましょう。 団体に登録しなくても、ペタンク愛好者が連絡を取り合ってペタンクをする機会はいくらでもつくり出せるでしょう。そんな、ペタンクのユートピアをインターネットでつくりたい。それが私の理念です。 インターネット革命をペタンクの場に起こしましょう。 ペタンク狂(MAD PETANQUE)仲間は、本当のペタンクの楽しみを追求しましょう。「楽しくなければペタンクではない。」「ペタンクができる。それが生きている証(あかし)だ。」とまで、名言を吐くフランス人愛好家には、ぞっこん参っています。今後もフランスとは密接な繋がりをもち、皆さんにニュースを提供することも忘れないようにします。 このサイトでの出会いが、どんどん広がりますよう、みなさんの暖かいご支援とご協力をお願いいたします。 |
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| MAD PETANQUE 師匠 Yasuhiro INA kefrin 画 |
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